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東国三十三ヶ国総鎮守

江戸時代には「東国三十三ヶ国総鎮守」とされ、熊野三山・英彦山と共に「日本三大修験山」と称せられた。東北地方、関東地方の広い範囲からの尊敬を集め、多くの信徒が三山詣でを行った。出羽三山の参道は、通称「七方八口」と言われた。八口とは、荒沢□(羽黒口)、七五三掛口(注連寺口)、大網口、岩根沢口、肘折口、大井沢口、本道寺口、川代口であり、そのうち、七五三掛口と大網口は同じ大網にあったことから、七方となった。それぞれの口には「女人結界」が設けられ、出羽三山の山域は女人禁制であった。別当寺は、女人の湯殿山参詣所という役割もあった。なお、八口のうち川代口は江戸時代初期に廃され、肘折口には真言宗阿吽(あうん)院が置かれた。

出羽三山の諸寺は山域の通行手形の発行も行い、出羽三山の参道は、村山地方と庄内地方とを結ぶ物流のルートであった。庄内藩は大網に「大網御番所」を置いて、これを管理した。同じく、村山地方には大岫峠の手前に山形藩の「志津口留番所」が置かれた。志津には、湯殿山別当であった本道寺と大日寺がそれぞれ「賄い小屋」を建て、参拝者の便を図った。

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明治の神仏分離で神社となった。別当寺が廃され神社となって3社を一つの法人が管理することとなり、出羽神社に事務所が置かれた。旧社格は月山神社が官幣大社、出羽神社・湯殿山神社が国幣小社である。戦後、神社本庁の別表神社となった。

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2009年04月29日 12:29に投稿されたエントリーのページです。

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