2009年12月05日

銭湯

銭湯(せんとう)とは料金を支払って入浴できるようにした施設である。日本の公衆浴場の一種。
日本の法律では公衆浴場として、次の定義がされている。

「公衆浴場法」第1条の規定
この法律で「公衆浴場」とは温湯、潮湯又は温泉その他を使用して、公衆を入浴させる施設をいう。
「公衆浴場の確保のための特別措置に関する法律」第2条の規定
この法律で「公衆浴場」とは公衆浴場法(昭和二十三年法律第百三十九号)第一条第一項に規定する公衆浴場であって、物価統制令(昭和二十一年勅令第百十八号)第四条の規定に基づき入浴料金が定められるものをいう。
公衆浴場法の適用を受ける公衆浴場は各都道府県の条例で、「普通公衆浴場」と「その他の公衆浴場」に分類される。
「普通公衆浴場」とはおおよそ「日常生活における保健衛生上必要な入浴のために設けられた公衆浴場」と定義され、一般に「普通公衆浴場」を「銭湯」と呼ぶ。各都道府県の条例では、施設の衛生基準や浴槽水の水質基準などが定められる。
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「その他の公衆浴場」とはその営業形態が銭湯とは異なる浴場のこと。また、自治体によっては「特殊公衆浴場」とも呼ぶ。
なお入浴料金は物価統制令(現憲法発布前に出された勅令。法律としての効力を持つ)の規定により、各都道府県知事の決定で上限が定められる。そのため都道府県ごとで料金は違う。いずれの都道府県においても「大人(中学生以上)」「中人(小学生)」「小人(未就学乳幼児)」の料金分けを採用。また、洗髪する場合は追加の洗髪料金を徴収する地域もある。
平安時代末、京に現在でいう銭湯のようなものが現れた。

鎌倉時代になると僧侶達が身を清める為に、寺社に設置されていた「浴堂」を一般にも無料で開放する寺社が現れて、やがて荘園制度が崩壊すると入浴料をとるようになり、これが本格的な銭湯の始まりと言われている。

2009年11月29日

金日成 金正日政権

北朝鮮では建国の始祖金日成が朝鮮独立運動の民兵司令官であったこと、および自国の独裁政権への不満をそらすためにアメリカと並んで日本への侮蔑意識をあおるプロパガンダが随時流されている。北朝鮮国内で反日ドラマ・反米ドラマが放映しており、内容は現実で起こらなかった虐殺描写なども描かれている。教育においても金日成の朝鮮独立運動における役割をきわめて誇大化した内容が教えられている。

『北朝鮮の七日間』では日本人拉致問題を正当化すために『日帝の罪を暴露断罪する歴史の告発場』という番組が北朝鮮国内で放送し、なんとはるか400年前の豊臣秀吉の朝鮮出兵を非難しており、金正日は豊臣秀吉の時代の事を恨んでいるようである。
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一般に日本や日本人への感情は良好であるが、第二次世界大戦における日本軍の東南アジア侵攻と占領統治の影響で、東南アジアの住民の間にもこれらの政策への批判や感情的な軋轢が存在する。各国の教科書でも日本軍に対して否定的な記述が見られる[要出典]。日本軍の軍政批判としてはいわゆる慰安婦問題、捕虜や現地住民に対する大小の虐殺・虐待、皇民化教育がしばしば提示される。

フィリピンは、国土が大規模な戦場となりマニラ大虐殺(マニラ市街戦)など戦争の直接の被害を受けたこともあり、東南アジア諸国の中でもとりわけ日本軍の統治や戦争被害への反感がある。フィリピンはアジアの中では例外的にカソリックが古くから定着し(約8割、キリスト教で9割以上)戦前のスペイン・アメリカ支配が圧政をともないながらも浸透していたこと、侵攻した日本軍が国土の約3割しか制圧できなかったこと、27万もの反日ゲリラが組織され存命中の彼らやその家族が日本を受け入れがたい心情を抱いている事、また旧ケソン政権の通貨を廃止し軍票を大量に発行して貨幣経済を混乱に陥れたことなど統治軍政に失敗したこともあり、旧日本軍への評価は高くない。

2009年11月25日

妙見菩薩

妙見菩薩(みょうけんぼさつ)は、仏教における信仰対象である天部の一つ。妙見尊星王(みょうけんそんしようおう)、北辰(ほくしん)妙見菩薩とも呼ばれる。

「菩薩」とは、本来サンスクリットの「ボーディ・サットヴァ」の漢音写「菩提薩埵」から来た言葉で、「悟り(真理)を求める者」の意であり、十界では上位である四聖(仏・菩薩・声聞・縁覚)の一つだが、妙見菩薩は他のインド由来の菩薩とは異なり、中国の星宿思想から北極星を神格化したものであることから、通常は大黒天や毘沙門天・弁才天と同じ天部に分類されている。

古代中国の思想では、北極星(北辰とも言う)は天帝(天皇大帝)と見なされた。これに仏教思想が流入して「菩薩」の名が付けられ、妙見菩薩と称するようになった。「妙見」とは「優れた視力」の意で、善悪や真理をよく見通す者ということである。七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経には「我れ、北辰菩薩にして名づけて妙見という。今、神呪を説きて諸の国土を擁護せんと欲す」とある。
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妙見菩薩信仰には星宿信仰に道教、密教、陰陽道などの要素が混交しており、像容も一定していない。 他に甲冑を着けた武将形で玄武(亀と蛇の合体した想像上の動物で北方の守り神)に乗るもの、唐服を着て笏を持った陰陽道系の像など、さまざまな形がある。

日本で重要文化財に指定されている妙見菩薩の彫像は、読売新聞社所有(よみうりランド内聖地公園保管)の1体のみである。この像は、正安3年(1301)の銘があり、もと伊勢神宮外宮の妙見堂にあったものとされる。しかし、この像は甲冑を着け、右手に剣を持ち、頭髪を美豆良(みずら)に結った特殊な像容を示し、所伝とおり妙見菩薩と呼ぶべきかどうか若干疑問の残るものである。

2009年11月07日

ミトコンドリアDNAによる系統分析

1980年代からのミトコンドリアDNA研究の進展により、ヒトの母系の先祖を推定できるようになった。これにより、アフリカ単一起源説がほぼ証明され、また民族集団の系統も推定できるようになった。ミトコンドリアDNAやY染色体のようなゲノムの組換えしない部分を用いた系統樹の作成は、集団の移動とルーツを辿るのに用いられる。例えば日本人のミトコンドリアDNAのハプロタイプの割合と、周辺の集団(韓国や中国、台湾、シベリア先住民など)つまり各ハプログループを比較することで、祖先がどのようなルートを辿って日本列島にたどり着いたかを推定できる。ただし、ミトコンドリアDNAは形態の生成に関与しない遺伝子であり、DNAタイプ(ハプロタイプ)と形質的特徴(骨格、体格、顔、皮膚など)とは必ずしも対応しないとされている。
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現在の研究では、縄文人も弥生人もどちらも北東アジア(中国、シベリア、ブリヤート、朝鮮半島)に類似したDNAが多く分布しており、縄文人を南方系、弥生人を北方系とする埴原和郎の二重構造説は批判されてはいるが、日本民族が多重構造であること自体は肯定的な意見が強い。
ミトコンドリアDNAの塩基配列の多様性の度合いを比較分析することによっても系統関係を計測できる。

2009年10月29日

時計の歴史

有史以前より人類(おそらく他の動物にも)は太陽の位置などにより、朝-昼-夕程度の曖昧で不明確な時の概念を持っていたと考えられる。太陽の位置を知る方法に「固定された適当な物の影を見る」というのがあり、これはいわゆる紀元前約2000年頃に発明されたといわれる日時計である。

しかし日時計は晴天の日中しか利用することができない欠点がある。そのため、別の物理現象を使って時間の流れを測定する時計が考えられた。例えば特定の大きさで作った蝋燭や線香、火縄が燃える距離を使う(燃焼時計)、水や砂が小さな穴から落ちる体積を使う(水時計、砂時計)などであり、紀元前1400年?紀元前700年頃の間にエジプト、イタリア、中国などで考案された。

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14世紀に入ると駆動軸の動きを制限する脱進機が発明され、これを使った機械時計が開発された。この時計は定期的に重錘を引き上げ、それが下がる速度を棒テンプと脱進機で調節するものであった。また1510年頃、ニュルンベルグの錠前職人ピーター・ヘンライン(Peter Henlein、1480年-1542年)がゼンマイを発明し携帯できるようになった。

1583年ガリレオ・ガリレイは、振り子の周期が振幅によらず一定であること(正確には振幅がごく小さい場合に限られる)を発見し、振り子時計を思いついた。1657年クリスティアーン・ホイヘンスは、サイクロイド曲線を描く振り子および振り子に動力を与える方法を発明し、振り子時計を作った。

2009年10月19日

農作物に対する害

農業害虫ともいわれ、きわめてたくさんの例がある。収穫後、保存中の農作物を加害するものは、貯穀害虫という。農業においては、害虫への対応いわゆる害虫防除は、過去より現在に至るまで、もっとも重要な課題の一つでありつづけている。古くは虫送りなど、害虫を追い出す行事があり、最近では農薬を主体とする防除法が発達している。農薬には副作用や環境への影響など、様々な問題もあり、現在では出来るだけ農薬を使わない工夫も行われる。天敵利用など、自然の作用を利用する防除法なども施行されている。

農業害虫

バッタ:大量に発生すると、移住性を持つようになる種。飛蝗による蝗害は、アフリカなどで時に甚大な害を与える。
ウンカ:特に稲に対する被害が大きい。
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ミバエ:熱帯地方では果樹に大きな被害を与える。ウリミバエは沖縄諸島にいたが、不妊虫放飼という方法で根絶された。
メイガ:様々な植物を食べるものがいる。稲作では、ニカメイガとサンカメイガは、かつて最も重要な害虫であった。
カメムシ:植物の汁を吸う。様々な農産物に様々なものがつく。近年、日本ではツヤアオカメやチャバネアオカメが大発生する年があり、問題になっている。
アブラムシ・カイガラムシ:植物の汁を吸う。いずれも繁殖力が強く、植物上にコロニーを作り、大きな被害を与える。
アザミウマ:植物の葉や果実の表面を加害する。農薬に抵抗性を持った種類が増加して問題となっている。

2009年06月19日

細胞内共生には一次共生?三次共生

細胞内共生には一次共生?三次共生(或いはさらに高次の共生)があること。
細胞内共生は様々な分類群で独立に複数回起こっていること。
共生の結果得られた細胞小器官は二次的に失われる可能性があること。
一時的にしか葉緑体を保持できない(細胞内共生が現在進行中である)生物がいること。
等が判明し、藻類と呼ばれる生物は単系統ではなく、系統の様々な部分で葉緑体を獲得した生物の便宜的な集団であることが明確になった。付随して、葉緑体を持つ藻類と、持たないいわゆる原生生物との線引きの曖昧さが露呈してきた。1996年には、病原性の原虫として有名なアピコンプレクサ類から葉緑体由来と思われる35kb程度の環状DNAが見つかり、葉緑体喪失の代表例として取り上げられるようになった。

2000年代になると分子系統解析の手法はより洗練されたものとなり、黎明期の誤りが逐次修正されると共に、新たに考慮すべき概念や現象も登場してきた。遺伝子が系統を超えて伝播する遺伝子水平転移(LGT; Lateral Gene Transfer)などはその例である。近年では大規模な系統解析も可能となってきたが、生物の系統樹の中で各所に散らばる藻類全てを対象とし、また十分量の塩基・アミノ酸配列を投じて複雑な解析を行うには未だ莫大な資金と時間を要する。限られたリソースの中で各研究者が解析を行い、そこから百家争鳴とも言える様々な進化説・分類体系が提唱されているのが現状である。
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「○界説」と藻類 [編集]
ホイタッカー(Robert H. Whittaker)の5界説(1959)以降、様々な「○界説」が提唱されてきたが、藻類は植物界や原生生物界にその都度割り振られ、確たる場所を与えられてきたわけではなかった(→生物の分類)。現在では分子系統解析に基づく分類群の再編も進み、五界説などは既に瓦解したと言ってよい。1990年代以降は特に○界説として生物界全体を区切る事はせず、ある程度妥当と思われる生物のまとまり(大分類群)に対して特定の呼称を設けるのが主流である。下記はAdl et al.(2005)に従った区分の例。

アーケプラスチダ(Archaeplastida)
藍藻の一次共生に由来する葉緑体を持つグループ。一次植物とも呼ばれる。緑藻、紅藻、灰色藻が含まれる。
クロムアルベオラータ(Chromalveolata)
紅藻の共生(二次共生)に由来する黄色の葉緑体を持つクロミスタと、単細胞生物としては細胞構造の最も複雑なグループであるアルベオラータをまとめた群。クロミスタにクリプト藻、ハプト藻、不等毛植物(褐藻や珪藻など)、アルベオラータに渦鞭毛藻が含まれる。渦鞭毛藻の葉緑体は複雑で、紅藻由来に加えてハプト藻やクリプト藻を取り込んだ三次共生由来のもの、未だ由来の不明なものもある。
リザリア(Rhizaria)
分子情報を根拠として定義された群。糸状や網状の仮足を持つ生物が多い。緑藻の二次共生に由来する葉緑体を持つクロララクニオン植物が含まれる。
エクスカバータ(Excavata)
複数本の鞭毛を持ち、腹側に微小管で裏打ちされた細胞口を持つグループ。この中のユーグレノゾアに、ミドリムシで有名なユーグレナ植物が含まれる。葉緑体は緑藻の二次共生由来。

2009年06月01日

江華島事件と日朝修好条規

1873年12月大院君は失脚し王妃の一族閔氏が政権を握り、朝鮮国内でも通商開化を説く意見が登場した。明治政府は1874年6月から交渉を再開するがやはり紛糾したため、軍艦数隻を朝鮮沿岸に派遣し海路を測量させて示威を行い交渉を有利に進めることとし、1875年軍艦雲揚、第二丁卯を派遣した。この雲揚が同年9月20日首都漢城に近い要塞地帯であった江華島に接近し、発砲されたとの理由で3日間にわたり戦闘し22日には永宗島の砲台を攻撃、占領する事件が起きた。[8](詳しくは江華島事件また日朝修好条規参照)

明治政府は12月に黒田清隆を特命全権大使に任命し軍艦3隻などの艦隊をともなって朝鮮に派遣し(砲艦外交)、その結果1876年2月日朝修好条規が調印された。これは首都への公使駐在と釜山の他二港の開港と日本人の居留通商などを認めさせたが、第一条で「朝鮮は自主の邦にして、日本国と平等の権利を保有せり」とうたいながらも第十条で片務的領事裁判権を規定する不平等条約であり、さらに第七条では日本が朝鮮沿岸の測量権を得て軍艦の周航など軍事的進出を容易にすることとなった。[9]

なお「自主の邦」と規定したとはいえ、清は冊封関係において従来から「属国自主」として内政・外交については関与しない立場をとっており、清の宗主権を否定しつくすものでもなかった。ちなみに1882年の朝清商民水陸貿易章程では清の宗主権が明文化されている。
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1879年明治政府はいわゆる琉球処分を行い琉球藩を沖縄県とし、琉球王尚泰の東京移住を命じるが、琉球内ではそれを不服とし明治政府に様々な嘆願を行い、また清に救援を求める人々もあった。清は冊封関係の回復にむけ積極的になり日清の関係は悪化し、世界巡遊中の前合衆国大統領ユリシーズ・グラントが明治天皇との会見で西欧列強の介入を防ぐための日清両国の譲歩を助言したこともあり、1880年北京で日清の交渉が行われた。

この時日本は沖縄本島を日本領とし八重山諸島と宮古島を中国領とし、日清修好条規に日本の欧米並みの最恵国待遇を追加する案(分島改約案)を提示し一旦はまとまる。しかし清は元来二島の領有を望まず、冊封関係維持のため二島を琉球に返還し琉球王国再興を求めており、分島にたいする琉球人の反対もあり、清は提案受け入れの態度を変えて調印に至らなかった。[10] この琉球問題の決裂と日本の台湾への野心の疑いから清側ではこの後対日強硬論が唱えられるに至る[11]。この結果、領有権問題の解決は1894年(明治27年)の日清戦争後まで持ち越されることになった。

2009年04月29日

東国三十三ヶ国総鎮守

江戸時代には「東国三十三ヶ国総鎮守」とされ、熊野三山・英彦山と共に「日本三大修験山」と称せられた。東北地方、関東地方の広い範囲からの尊敬を集め、多くの信徒が三山詣でを行った。出羽三山の参道は、通称「七方八口」と言われた。八口とは、荒沢□(羽黒口)、七五三掛口(注連寺口)、大網口、岩根沢口、肘折口、大井沢口、本道寺口、川代口であり、そのうち、七五三掛口と大網口は同じ大網にあったことから、七方となった。それぞれの口には「女人結界」が設けられ、出羽三山の山域は女人禁制であった。別当寺は、女人の湯殿山参詣所という役割もあった。なお、八口のうち川代口は江戸時代初期に廃され、肘折口には真言宗阿吽(あうん)院が置かれた。

出羽三山の諸寺は山域の通行手形の発行も行い、出羽三山の参道は、村山地方と庄内地方とを結ぶ物流のルートであった。庄内藩は大網に「大網御番所」を置いて、これを管理した。同じく、村山地方には大岫峠の手前に山形藩の「志津口留番所」が置かれた。志津には、湯殿山別当であった本道寺と大日寺がそれぞれ「賄い小屋」を建て、参拝者の便を図った。

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明治の神仏分離で神社となった。別当寺が廃され神社となって3社を一つの法人が管理することとなり、出羽神社に事務所が置かれた。旧社格は月山神社が官幣大社、出羽神社・湯殿山神社が国幣小社である。戦後、神社本庁の別表神社となった。

2009年04月14日

形意拳

形意拳(けいいけん・Xingyiquan)は、太極拳・八卦掌などと共に内家拳に分類される中国武術の一派。
套路(型) [編集]
その伝承内容は、五行拳(金行劈拳、水行鑚拳、木行崩拳、火行炮拳、土行横拳)という陰陽五行説でいう五行を表した、 五種類の単式拳を全ての母拳とし、 その応用で十二形拳(龍形拳、虎形拳、猴形拳、馬形拳、黽形拳、鶏形拳、鷂形拳、 燕形拳、蛇形拳、鳥台形拳(「鳥台」は1文字、駝鳥・孔雀説?)、鷹形拳、熊形拳)とよばれる、十二種の動物の形態と意を表した象形拳を基本としている。

形意拳の代表的な套路(型)は、各派によって差異はあるが、
五行連環拳(形意連環拳)、雑式捶(十二形合一拳)、四把捶(鶏形四把拳)、十二横垂拳、 八字功(正門八字功・奇門八字功)、出入洞(出洞入洞)などがあり、 二人一組でお互いを打ち合って行う対練套路には、五花砲、五行砲、安身砲、散手砲、五行相剋拳などがある。

武器術も豊富で槍術を中心に、棍、剣、刀、暗器など使用兵器は多彩であり、 器械套路(武器の型)としては形意梅花槍、形意五行槍、形意五行刀、連環剣(棍、刀、槍)などの套路がある。

起源 [編集]
形意拳の創始者は清朝末期に人々から、その超絶的な技量を「神拳」と賞されていた達人であった李飛羽(字を「能然」、彼の広く知られる通称は李洛能)である。

異説はあるが形意拳は李洛能が山西省祁県の名家であった戴氏一族と、その極少数の門弟たちの間で密かに伝承されて来た、 戴氏心意拳を戴龍邦から学び(現在の戴氏心意拳の側からの主張では、 李への実伝は戴龍邦ふたりの子息からだったとも、娘婿の郭維漢からだったともいう。)、大成の後に独自の創意工夫を施したことにより生み出されたという説が、現在最も有力な説である。

伝説に依れば形意拳の原型である心意拳は、宋代末期に異民族による侵略に対抗し、謀殺により悲劇的な最後を遂げたことで民衆に神格化された、 中国の歴史上では、関羽と並んで最も有名な英雄である、岳飛将軍(武穆王)によって創始されたと伝えられるが、 岳飛創始説は鷹爪翻子拳など少林拳系の拳で、心意拳とは形態の大きく異なる門派の創生伝説の中にも見られ、これは有名な英雄の名に肖った権威付けであろうと推定されている。

形意拳の母体であった心意拳(「形意(Xingyi)」も「心意(XinYi)」も中国語の発音では殆ど同じであり(ただし、声調が異なるため混同されることはなく、はっきり別の語として認識される)、また形意拳の古名は「心意六合拳」であると説明されることも多く、 一般には近年まで、心意拳と形意拳は同じ門派の拳であると長らく認識されてきた。)の実質的な創始者は、明代末期に活躍した武術家の姫際可(姫隆峰)であるとされている。

彼は「神槍」との誉れも高い優れた槍の達人で、後に自身の槍の理合と発見された岳飛の拳譜から心意拳を復元したと、 戴氏心意拳や心意六合拳の創生伝説では語られるが、彼の独創であるとする見方もある。

姫際可には嵩山少林寺において、10年の長期にわたり僧侶たちに拳を教授したという伝承(六合拳序)があることから、今に残る少林心意把と結びつける見方もある。

姫の創始した拳は河南省洛陽在住の元高級官僚(靖遠総鎮大都督)であった曹継武に伝えられ、曹により回族の馬学礼と漢族の戴龍邦のふたりに伝えられた。それらが今に残る馬氏心意六合拳と戴氏六合心意拳にそれぞれ発展していった。

また伝説として湖北省にある道教の聖地のひとつ武当山の道師張三豊によって創始された(他にも「太極拳」、「八卦掌」も張三豊の創始だとの伝説もある。そのような理由により、戦前までは内家三拳のことを武当派と称することも一般的であった。だが現代では「武当派」というと、武当山に伝わる各種武術の総称という意味の方が強い。)との説もあったが、 現代ではこの説は信憑性が薄いとされ、武当山の武術関係者以外では信じられてはいない。

特徴 [編集]
形意拳には見栄えのするような華麗な大技はほとんど見られず、傍目からはひじょうに修得の簡単な拳であると誤解されやすい。 だが、その外見のシンプルさは武術としての洗練化を極め尽されたゆえの簡素さであり、 事実、姿勢や打法に関する要訣は数ある中国武術の中でも屈指の難易度を要求され、 上達の為にはさながら精密機械を組立てるが如き細心の注意が必要とされる奥深い拳である。 またその実用のみ重視し、一切の無駄を省き、高級な拳理およびその姿形から拳技の究極の姿、実戦の究極ともよばれる拳である。

三才式(三体式・三體勢)という東洋思想(三才思想)においては、 森羅万象のいっさいを構成する三つの重要な要素と考えられている、 天・地・人の三才を表現した、一見空手の後屈立ちに似た後実前虚の独特の姿勢を、站椿功や起勢などに用いること(待敵式(構え)として使う派も存在する。)、 技を発して前方へ移動する際に、前足で踏み込んだ後で、後ろ足を前足の踵側に引き付けて歩を進める、 「跟歩(こんぽ)」という歩法を多用することなどが特徴的である。

また形意の歩法・戦法に関することで「進むことを知って退くことを知らない。」、 「直線的に進み推進力で打つ。」などと説明がされることが多々あり、 事実それが形意拳の伝統的に強調されてきた拳風ではあるが、 実際は他の中国武術と同じく、状況により前に後ろに斜めにと自在に動き多彩な歩法を活用する。 また打突においても推進力による体重移動は攻撃力の源のひとつではあるが、 前進しながら打つ行為自体に形意拳の有する精妙かつ優れた発勁法との直接の関連性はない。 何故ならば形意拳で要求される動作上の注意点は甚だ多く、歩法に関するものはその一部に過ぎないからである。 漫画等の影響で一般で誤解され易いように、敵に向って何の工夫も凝らさぬまま、ただ真っ直ぐに 単純な突進攻撃を仕掛けるような、底の浅い戦法をとる拳ではけして無い。 形意拳の戦法は敵に向って積極的に攻め込むとしても、 その術理には円錐交叉法とも称される防御と攻撃が一体となる攻撃を仕掛ける戦法が内包されている。 この戦法はさながら槍や剣の戦法を徒手に応用させたかのような戦法である。

蹴り技については、「龍形拳、(龍虎相交、狸猫倒上樹)」といった技で、踵を使って敵の膝関節や下半身を踏み付けるように蹴り抜く跟採(こんさい)あるいは採腿(さいたい)という、 八極拳の斧刃脚(ふじんきゃく)に似た下段蹴りを使用し、他派のように足先や足甲で蹴る動作は、 形意鴛鴦脚などの一部の伝系に伝わる套路を除き、ほとんどと言ってよいほど使用されていない。 だが形意拳では踏み込んで敵に向って前進する行為自体に、既に脛を蹴り上げる動作が内包されているのだと考えており、 また套路の中では蹴り上げる動作を暗示するという独立式といわれる、片足立ちの姿勢をとる架式も使用されており、 実際の戦闘において他派に較べ、蹴り技を用いる事が少ないというわけでは無い。 むしろ敵にとってダメージの大きい下段蹴りに絞って多用させることは、 実戦武術として名高い形意拳を、より実用性の確かなものとなしているといえる。 これら戦法における拳脚の運用をみて判るように、相手の吐息が掛かるほどの極近距離にてその真意を発揮する。

通常形意拳を学ぶ者が最初に教わるものは三才式站椿と五行拳第一行の劈拳である。

かっては「三体式三年」・「劈拳三年」と言われたほど初心者はただこれだけを延々と練習し続け習熟しなければ、 師は弟子に先の段階に進むことを許さなかったといわれている。 形意拳は三体式と劈拳を練ることで基礎的な功を養う。

門派(流派) [編集]
各伝承者の普及させた地域により、河北省伝来のものを河北派形意拳、山西省伝来のものを山西派形意拳と、 大まかに分類して呼ぶこともあるが、必ずしも現在の多様性に富んだ形意拳の各系統の実態を表せるものではない。 かつては河南省に伝わる近親門派である心意六合拳も河南派形意拳と称されてきたが、 現代では形意拳との混同を避ける為、山西省、河北省の物のみを形意拳として分類している。 だが山西省に伝わる車派形意拳の中には、自らの門派のことを山西六合心意拳と称している伝系もある。 また、かっては山西派というと戴氏系の心意拳を指すものであったが (形意拳の伝承では、山西派は一度廃れてしまい失伝の危機にあった為、李洛能が弟子に山西派を学ばせ復興させたとある。)、 現在では山西派と表現する場合は心意拳は除外することが一般的である。

郭雲深、李存義、張占魁、尚雲祥、孫禄堂、姜容樵などの、 近世において他に全く類を見ないほどの中国武術史に残る数多くの名手・達人たちを多数輩出したことでも有名である。

また郭雲深の拝師門徒で国手とも称された達人王向斉は、 形意拳を土台として八卦掌・白鶴拳・通背拳などの優れた他派の中国武術のエッセンスを加味し、 これに独自の創意工夫と套路(型)を完全に廃するという、それまでの中国武術では考えられなかった、 斬新な発想を組み合わせ、意拳を創始したとも言われている。 それゆえ意拳の側からは、形意拳は自分たちの拳の原型であると称されることが多い。

形意拳大師 [編集]
岳飛(伝説的開祖)
姫際可(心意拳開祖)
曹継武(心意拳第二世伝人)
馬學禮(曹継武の弟子、回族心意六合拳)
戴龍邦(曹継武の弟子、戴氏六合心意拳)
李洛能(戴龍邦の弟子、形意拳開祖)
車永宏(第二世伝人、山西派)
李太和(李洛能の子)
李振邦(李太和の子)
宋世栄 (第二世伝人、山西派)
劉奇蘭(第二世伝人、河北派)
薛顛(李太和の娘婿)
郭雲深(第二世伝人、河北派)
李魁元(第三世伝人、郭雲深の得意門徒)
錢硯堂(第三世伝人、郭雲深の弟子)
李存義(劉奇蘭、郭雲深の弟子、第三世伝人、河北派)
張占魁(劉奇蘭の弟子、第三世伝人、河北派)
尚雲祥(李存義の得意門徒、第四世伝人、河北派)
孫禄堂(李魁元の入室門徒、郭雲深の愛弟子、第四世伝人、河北派)
姜容樵(張占魁の得意門徒、第四世伝人、河北派)
陳泮嶺(李存義の閉門弟子、第四世伝人、河北派)
王樹金(王薌齋(王向斉)(形意拳時代)の弟子、張占魁の閉門弟子、第四世伝人、河北派)
孫剣雲(第五世伝人、孫禄堂の長女)

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